夢の続きの夢

さて、今年もここから

昨年の12月29日に 「さー行こう」という鼻息で雁坂を越えた。
降っていくと徐々に日本一の景観が現れた。
そう、それは夕焼け時の富士のシルエット。
まるで葛飾北斎の赤富士の反転色のようで見事なものだった。
意気込みは、京都三条に向かうという気持ちだった。
目的は、歌川広重の名所絵がどこで綴られているか?
それを写真に収める為であって、東海道五十三次+日本橋+京都三条 にて 五十五枚
中山道六十九次も一昨年から徐々に初めている。
長い連休、家で年越しなどというある意味、俗人的な事はまるで考えていない。
と言ってもそれが一番良い事だとよくもわるくも「はみだしもの」の自分が一番よくわかっている。
一般的という表現がよいのか悪いのか?は兎も角もそれすら出来てこなかった自分の優劣をつけるとしたら、「劣」である。

ひたすらに京を目指した。
少しノープランで出かけるのも昔からだろうか?
旅先で何が必要になるか?も この数奇な人生で学習している。
突発的な行動、そして後先を考えない人生は面白くもあり、人よりも怪我が多かった。
慣れたものよ!そして気の毒に。
少し眠たくなってきた。夜12時を越えていたから当然と言えば当然。
掛川の道の駅にてトイレ休憩。
少し仮眠をとろうとして目を閉じたのも束の間、「パラリラ@」と年末になるとはしゃぎだす若者たちの音が聞こえた。
あれよあれよとその台数が多くなり寝ている時間を与えてはくれない。
年末の東海道というだけあって、帰省ラッシュの最中、道の駅にはご老人もいれば子供もいる。
そんな中、爆音を立てて改造のバイクが群れを成す。
いったい小さな子供はどんな気持ちでそれを見ているのだろうか?
トイレに行く時に道の駅敷地内の横断歩道を渡ろうとしたらマフラーのパリパリ音が聞こえて、手前で止まった。
横断するのは私たちだけではない。
若者たちは、どうぞといわんばかりに手の平を上にして右から左へとゆっくりと動かした。
会釈もしている。
そういう気遣いを彼らが持っている事にとても安心した。
すっかり目を覚ましてしまったので先を急ぐ事にした。
隣に座っている人にはシートを倒すように促した。
眠れるか?
大丈夫!
大した言葉は投げかけていない。
けれどいつもいつも何も言わず、黙ってついてくる人である。
そして、ホテル代も勿体ないといい、車中泊も手慣れたものである。
さすがにそれは、31日まで。
年越しはホテル取ろうな。
そういって、清水市のホテルを予約した。
といっても腕をまわすわけではない。
同じベッドで寝ていながらもなにもしない。
せがんでくることもあったが、諦めたのか?
実はこれ、一昨年前の出来事で 一人でそれを思い出して 酒のつまみにしたかっただけだ。
12月30日は、愛知県名古屋市にいて、旧東海道の街並みを散歩した。
「ありまつ」という間の宿である。
鳴海宿と池鯉鮒宿の間の宿場町で公の施設ではなかったが、昨今では旧東海道の街並みを一番感じられる通りではなかろうか?
東海道五十三次の歌川広重の名所絵では、鳴海宿、有松絞り として描かれている。
それを歩きながら話していた。
Kに会いたい。
その一心だっただけだ。
しかし、京都~大阪間は雪が降っているそうで止む無く引き返した。
もう止めよう、自分が言い出したのだから、、。
後悔じゃない。
未練だった。

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