夢の続きの夢

PROJECTが始まった日

まさにまさに齢など何の意味もなさない。
前日の出来事を引きずったまま、野山獄に着いた。
楓は言う。
「久子さんもきっと先生が好きだったのよ!」
この野山獄で 三味線といったどこか高杉晋作を想起させるも、奔放主義にして吉田松陰にも多大な影響を与えた高須久子その人の事を言っている。
にしても「久子さんも」「先生が」という。
もう間違いないじゃないか!
これに対して私は、やはりこの野山獄の住人であり歴女の楓が好きだと言っている、高杉晋作の都都逸を引用してこれに返答した。
「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝を続けたい」
楓は静かにうなずいていた。
どこまでも前向きな子だ。
晋作の誕生地前で腕をつかまれ、そのまま、萩の城下街を歩いた。
兎も角も銅像の多い街だ。
それもそうで、幕末の萩と言えば、名だたる人物が大いに誕生した街でもある。
少し歩けば、山県有朋、田中義一、久坂玄瑞などの像が際立つように建立されている。
もちろん、生誕地なども例外ではない。
さらに萩の街は、大戦時の空爆の難から逃れている。
計画はあったもののいざという時に終戦を迎え、この三角州の街はタイムカプセルのように当時の趣を残した。
歴史ファンにとってこれ以上ない場所があろうか?
京都が既に世界的にも有名な歴史ある街なのに対し、萩はそれを超えるほどの心酔できる街でもあった。
歩いてみればわかるが、松下村塾は川向こうなのに塾生たちは、遠くから塾に通った事がわかる。
一際、久坂・高杉の塾頭、両輪は松下村塾から離れた場所で生活していた事が歩いてみて初めてわかる。
松下村塾を中心に歩くのもよい。
松浦松洞、吉田稔、伊藤博文はすぐ近く、品川弥次郎、入江九一、前原一誠ときりがない。
それでも私たちは、予定通り萩の街を後にした。
萩往還の道中最中、涙松に立ち寄った。
楓はここで涙を流した。
「先生はここから、伝馬町におくられたのね?」
そうだね
「かえらじと思いさだめし旅なれば、ひとしほ ぬるる涙松かな」
涙松跡で泣いた楓

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